冒険ノンフィクション

<読書:極夜行>

#角幡唯介 著書

#北極圏犬ゾリ単独横断

#GPSなしの暗闇探検

#necessary or unnecessary( 役に立つ・役に立たない論)


ラジオ好きなものでして、朝から晩まで日本全国のラジオ番組をザッピングしながら聞いています。最近はもっぱら在阪FM局(FM:COCOLO)と東京のラジオ局、とりわけニッポン放送とTBSラジオを楽しみに拝聴しています

なかでも、TBSラジオ(FM90.5,AM954)毎週土曜の26〜27時放送の「東京ポッド許可局」が 2021年の”Radio of the Year”だと思います。深夜放送ですので、僕みたいなおじさんにはLive聴取は眠くてキツイので、radikoタイムフリーで毎週楽しみに聞いています。


 俳優のマキタスポーツさん、コラムニストのプチ鹿島さん、漫才米粒写経のサンキュータツオ、文系芸人の3人が設定されたテーマに沿って、常識を疑いながら独自の視線で行間を読む時事放談番組です。

 NHKスペシャルみたいに、賢くなれるような政治性は皆無で、昭和の大橋巨泉さん、小沢昭一さん、立川談志師匠を彷彿させる軽妙洒脱なトークが大半で、たまに河童に尻子を抜かれたように、失禁しそうに大笑いするラジオ番組です。皆様には、是非に聴いて欲しい番組です。

その「東京ポット許可局」/2020年10月12日放送「役に立たない論」の放送回にて、プチ鹿島さんが、おすすめの書籍として、角幡唯介さん(1976年生まれ、北海道出身の冒険家)の冒険紀行『極夜行』を絶賛していました。

角幡さんは、ご自身の出版プロモーション・イベントにて、若い新聞記者から「探検は社会の何の役に立つのですか?」と質問取材されて、困惑されたそうです。冒険家本人に探検の必要性を問うこと自体がトホホなのですれど、角幡さんはその取材について、Tweetしたそうです。

 僕は、文化教養が高いはずの新聞記者なのに、探検を「役に立つ・立たない」の二元論で仕分けすることのバカバカしさに少し腹が立ちました。

その角幡さんのTweetを読んだプチ鹿島さんは、世の中の「役に立つ・立たない論(Necessary or Unnecessary)」とは如何なるもので、「立つと立たない」の端境について例を挙げながら、マキタスポーツさんと大喜利話芸を始めました。その大喜利の絶妙に、僕は小膝を叩いて納得し、持った湯呑みをばったり落とし、ラジオの前で大笑いしました。

 プチ鹿島さんは、善と悪を仕分けしたがる二元論の信仰者が周りにいれば、『極夜行(文藝春秋、2018年)』を読んだ方が良いと断言しており、僕も早々に読み始めました。

とにかく、「極夜行」は読んでいる時間を忘れるくらいに面白い!! 過酷な天候猛威に果敢に挑む冒険家の体力(根性)と知性(超常的な気象条件下でもいつもクールに行動する彼の自然科学への知識の豊富さ)に関心する。

 一方、いざ予期せぬ極限状態に追い込まれると、危険を省みないで、ヤバイぬかるみの沼に自らが進んでハマる自虐ユーモアに引き笑いします。辛い出来事も、皮肉めいたユーモアに変換する、角幡さん独特の文体にハマります。


このユーモアのセンスは、どこかで感じたことがある。

そうだ、『川口浩探検隊』だ!! 嘉門達夫イズムだ!!

角幡さんの著書に「雪男は向こうからやって来た」があり、実際に彼は2008年にヒマラヤの雪男捜索隊に参加している。

彼こそが平成・令和の川口浩ではないか。

角幡さんは、僕と同世代ですので80年代の川口浩イズムを少年期に体験しているはずだ、多分。

昭和50年代の小学生男子は、月に一度の水曜スペシャル「川口浩探検隊」のテレビ放送に齧り付いていました。

放送翌日の放課後の校庭では、僕は買ったばかりのトランシーバーを持ち込んで、友達と二人でアマゾンの奥深くに生息する幻の「原始怪鳥:ギャロン」に挑む川口隊長のモノマネをしていました。

“南米ベネズエラのギアナ高地。その地下に数十キロの洞窟が横たわる。その暗闇から原始怪鳥『ギャロン』が飛び立ち、村人を襲う!!

漆黒の空を悪魔のような叫び声で旋回する。

ギャロンは夜の支配者だ!!

人々は、その怪鳥の鳴き叫びに恐れるが、誰もその姿を見たことが無い。

果たして、川口隊長はギャロンを捕獲することができるのか!?

乞うご期待!!“

少年の僕らは、ブラウン管の前で探検隊の行く末を見守り、TVコマーシャルの間のトイレ休憩をも忘れ、派手なナレーションに煽られ、固唾を呑んだ。

今でも、あの番組は「やらせ」、「仕込み」は無かったと信じている。

夜の支配者「ギャロン」の存在を通じて、人類史にとっては、暗闇は恐怖であり、太陽は希望であることを子供ながらに実感した。

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さて、話を『極夜行』に戻します(東野圭吾の“白夜行”と間違いそうになる)。

太陽の光が当たる限界緯度66度を超える北極圏では、一日中太陽が沈んだ状態が3ヶ月以上続く。

「極夜」とは、冬至の頃から数ヶ月間におよぶ真っ暗な闇の世界です。

角幡さんは、4ヶ月間も太陽が昇らない極夜の下で北極圏グリーンランドからカナダ国境を横断する。それも、GPSを使わずに、天体の星を頼りに、自身の座標位置を天測し、目的地に進む。

日が昇らない漆黒の夜の世界を、相棒の犬と二人っきりで、犬ゾリでマイナス40度の雪原を駆け抜ける。

本の帯に書かれた、たった一行のコピーに心を撃ち抜かれました。

“極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか”

内容のネタバレは絶対にできません。

是非に書店で手にとって、書き始めの部分だけでも、立ち読みでも良いですので(本屋さんご容赦ください)、読んでほしいです。

冒頭10ページで、奥様との分娩室での出来事が、冒険家と普通のおじさん目線から描写されていて、これは絶対に映画化して欲しいと思いました。

GPSなしでの探検は、現代のアドベンチャー・プロジェクトの価値観をひっくり返す試みだと思います。

探検家が前人未到の地に挑むことを声高に言われも、「どうせGPSで位置情報を確認しながら、衛星通信で食料・資材を支援者にオーダーして、上空から補給線を確保できるんでしょう? 何だかな?」と意地悪な目線で僕は見ていました(上から目線ですいません)。

しかし、角幡さんは、大航海時代さながらに、六分儀で天体と地平線の角度を測りりながら、緯度と経度の位置線を計算するんです。

緻密な天体観測の経験と素早い測量技術(モタモタと測量計算をしていたら、マイナス40度の極寒地で凍死します)を習得した上での探検に、3年以上の長期の準備期間を要した。

実は、僕も大学で測量学の単位を取っていて、一応は測量士補の資格があるので、六分儀での位置情報の計算がどれほど困難かは想像できます。

物理的な空間上の前人未到ではなく、技術的な制約を課しての前人未到。

それも、600年前の大航海時代の測量技術で真っ暗闇の氷の荒野を突き進む。

ひとり極夜を旅して、四ヶ月ぶりに見た太陽はいかなるものか。

200年前のイヌイットが外部の文明を背負った来訪者に問うた言葉

「お前は太陽から来たのか。月から来たのか。」

この言葉の意味を探すことが、角幡さんのこの探検のきっかけになったそうです。

僕たちが言うところの文明は、長い長い夜の後の太陽への想像力の壁を超えたのか?。

ロアルド・ダールの「単独飛行」、コリンフレッチャーの「遊歩大全」、野田知佑さんの「カヌーの世界紀行シリーズ」、椎名誠さんの「あやしい探検隊シリーズ」など、子供の頃から読み漁った冒険読み物。

本書は、僕にとって大切な一冊です。

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P.S 追伸

僕は、小学校のクラブ活動は野外活動部に所属し、大阪で一番汚いでヘドロだらけの神崎川を素足で渡り、野良犬がたむろする河原の野草を天ぷらにして食べたり、痛い冒険オタクの子供でした。

僕たちを指導してくれた顧問のH先生も、元バックパッカーで世界中の山と渓谷を旅した冒険家です。

アマゾンでピラルークを釣り上げたり、ビルマの洞窟で食べたコウモリの串焼きを食べたり、そんなキテレツな冒険写真を見せられて、とても心がときめいた事を思い出しました。

 当時はコンプライアンスとか教育現場がやかましくなくて、その影響で自然遊びが好きになって、今でも山歩きに講じています。

この間のも、雲海のご来光を見るために北陸の山を登りました。

それでは、また来週まで。

来週は映画の話に戻ります。

おやすみなさい。

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